古代日本の国防の第一線にたった防人たち。彼らの和歌が多く『万葉集』に収められていることは、よく知られているだろう。
その中でも有名なのはーー
「今日よりは かへりみなくて 大君の 醜(しこ)の御盾(みたて)と 出で立つ我れは」という歌だ。
直訳的には、今日からは、父母も妻子も全ての私的な事情は顧みないで、天皇陛下の精強な盾として出立することだ、私はーといった意味になる。
火長(かちょう、兵士10人の長)だった今奉部与曽布(いままつりべのよそう)の作。
ここに「かへりみなくて」とあることについて、日本浪曼派の文人、保田與重郎が「顧みなくてといふことは、なほ何かを顧みている状態」と喝破されたのは重要だ。
顧みているからこそ「かへりみなくて」という言挙げが敢えてなされる必要があった。
つまり、この歌は「私」を通過して「公」に至ろうとする、与曽布の哀しい迄に勇敢な決意を映していると受け取らなくてはならない。
ただ勇ましいだけの和歌ではなかった。
防人たちの歌には、むしろ私情を包み隠しなく赤裸々に詠んだ歌が多い。防人に召されて故郷を出発する時、両親が頭を撫でて「達者で」と声を掛けてくれた、その言葉がいつまでも忘れられない、と歌った作などはその典型だ。
女々しいと言えば、確かにその通りかもしれない。
だが、父母や妻子を思う心情の切実さは、脆く儚い弱さではなく、真の強さに繋がり得る。
こうした防人歌を万葉集に夥しく収めた編者は、その間の消息をしかと見通していたはずだ。